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現在から約100年前、時にして1920年代前半から関東大震災が発生した1923年9月まで発行が続けられた「写真同人誌」の先駆け『寫眞藝術』の第2巻第3號。同誌を制作していた「寫眞藝術社」は、戦前期を代表する写真家で、日本において写真の振興に多大なる貢献を果たした福原信三のファースト写真集『巴里とセイヌ』、そしてセカンド『光と其諧調』(ともに1923)を上梓した出版社でもありました。そして、これら両作品集に収録された福原撮影による写真図版、及び福原が唱えた写真芸術論(テキスト)の連載が紹介されていたのが雑誌『寫眞藝術』になります。この同人は、福原信三のほか、弟で写真家でもあった路草、そして道草の知人で音楽評論家であり、写真も撮っていた大田黒元雄、そして信三の後輩にあたる掛札功の4名です。本号は別名「関西号」と呼ばれており、福原らの作品のほか、淵上白陽の写真及びテキスト、また浪華写真倶楽部のメンバーであった米谷紅浪や梅阪梅吉(鶯里)らのテキストも収録されています。(The Japanese Photobook 1912–1990 収録)