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本書は、1990年代に写真評論家・飯沢耕太郎が編集長を務めた季刊写真誌『デジャ=ヴュ』の第4号で「荒木経惟特集」。前年(1990年)に最愛の妻・陽子を亡くした荒木に迫る企画。以下、大島洋によるテキスト「愛の複写術」より一部抜粋「昨年の1月、荒木経惟の妻の陽子さんが死んだ。42歳だった。葬儀の日の荒木の挨拶の言葉は彼の写真の中心に迫るものだった。妻が死の病いに冒されてからは、病んだ妻の顔を撮る気持にはなれなくなっていたので、危篤の知らせをうけて病院に駆けつける途中、花を買っていった。それというのも、死んでゆく妻を撮る代わりに、ベッドの傍らに置いた花を撮るつもりであった。ところが、死の数時間前になって、妻の顔に生気が戻り、とっさにベッドの上に乗って、妻に跨がるようにして何枚も何枚も写真を撮った。たぶん、その写真を一生涯越えることができないだろうと思う、と荒木はそのように挨拶して、『陽子はいつでも私に写真を写されてくれ、私を写真家にしてくれた。そして自分自身の死によって、肖像写真とは何であるかを教えてくれたのだと思う』と言ったのだった」。