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戦前の日本を代表する写真家・福原信三らによって設立された「寫眞藝術社」より刊行されていた写真同人誌『寫眞藝術』の第2巻第1號。福原が弟の路草と音楽評論家の大田黒元雄、また千葉医学専門学校(現:千葉大学)の後輩でもあった掛札功とともに1921年6月に「寫眞藝術社」は立ち上げられ、福原が唱えた写真論「光と其諧調」などを基軸とした主張のある「写真同人誌」の先駆けとも言える雑誌が同時に刊行されました。『寫眞藝術』は、関東大震災発生までの1923年9月まで制作が続けられ、またその間には福原のファースト写真集『巴里とセイヌ』(1922年)や、同誌で長らく連載が続けられたエッセイも合わせて収録されたセカンド写真集『光と其諧調』も発刊しています。本号では福原の「リユクサンブルグ公園」、路草の「京都の湯屋」、大田の「木挽町の午後」、掛札の「ラインアンパイヤー」の他、淵上白陽の「竹林」「市ケ原村の秋」などが収録されています。(The Japanese Photobook 1912–1990 収録)